「お義母さん、今年幾つになった?」
「77や。」
「そっかー、そんなになったんだぁ。もう何年も会ってないから、お義母さんに送る母の日のお洋服ね、今年はさすがに迷ってて、やっぱ、そろそろ一回会いに行こうかなぁー。」
「そうやなー。もう何年おうてへんやろ?いっぺん、顔見せに来てや。」
別れた夫のお義母さんとの会話だ。私たちは離婚して14年経っている。
お義母さんは、自分の田んぼで作ってる米だからと言って、今だにお米を送ってくれる。だから、私は私でずっと母の日のプレゼントを送り続けてきた。
お礼の電話がきては長電話をし、離婚してもお義母さんや気の合う義妹との付き合いはずっと変わらなかった。
そんなわけで、5月のお天気の日、私たちは離婚後3回目の元家族旅行をすることになった。東京から息子と息子の父親と私の3人、関西からお義母さんと義妹の家族の総勢8人。現地集合の車の旅。
息子が4歳で離婚したとき、私たちは一つだけ確認したことがあった。
この子が思春期になって親の力が必要となったとき、親としての責任を果たす覚悟がないなら養育費は一切いらない。
送ってくれるな・・・ と。
覚悟があるなら、送ってきてもいい。そのときには、息子の成長に具体的に父親として関わってほしい。
おもちゃを買ってあげて、動物園に連れて行って、ハンバーグを食べさせるだけのおいしいとこだけの父親でいる気ならいらないと私は言った。
彼は父親としてきちんと責任を取ると言った。
約束通り、その後何年も彼は週末に迎えに来ては連れて帰り、一緒に刀で遊び、男同士でご飯を作って食べさせて、また送り届ける生活を続けた。
悪いことをしたときには叱り、意見や考えを伝え、思春期の行動を心配し、反抗期には「ウザッタイ」と言われ、ずっと父親として息子の成長に付合ってきた。
保育園から小・中・高校の入学・卒業式、運動会、参観日まで、さまざまな行事に父親として自然に存在していた。
高校の卒業式を前にしたある日息子が言った。
息子「おやじがこの間、卒業祝いに旅行でも行こうかって言ってたよ。」
母 「行ってくれば?」
息子「違うよ、3人で家族旅行だよ。」
母 「ありえねぇー。あんたと2人なら行くけど。」
息子「ありえねぇー。あんたと2人だなんて!」
笑いながら、正直に生きている母。素直に受け止めている息子。
旅行の日の朝息子は言った。
「あんたには悪いけど、オレは今回、いい思い出作ってくるから。」
くそ〜、私の姉にも同じことを言われたばかりだった。
「○○ちゃん(息子)のために、いい思い出を作ってあげてね。」って。
思い出作りって今、流行ってんの?(笑)
私は、単純にお義母さんに会えて嬉しかったし、こんなに年取ったんだな〜と思った。
私には「おかあさん」と呼べる人はこの人しかいなくなってしまったから、「おかあさん、おかあさん」と連発で呼んだ。
天国のあたしの「おかあさんたち」はどうしてるかなぁと思った。
心の中で、「おかあさん、大丈夫だからね。あたしはちゃんとやってるからね。」と産みの母と育ての母に言った。
2人も母がいたのに、2人とも死んじゃった。
2人とも死に目にあったし、2人ともに愛された。
でも、もういないからね。
だから、年寄りをみていると、あぁ、生きてくれてるだけでもありがたいな〜長生きしてねぇーと、全然知らない人の親を見ながら思ったりしている。(笑)
宿でビールを飲みながら、義妹が言った。
「ばあちゃんは、じいちゃんが死んでほんの少しばかりは『一人になってしまって、寂しいで。』って言うとったけど、それはほんの一時や。」「今は、これまでの人生で一番楽しくて、一番しあわせなときだってゲートボールの仲間のばあさんたちもみんな言うとる。みんな健康やし、女はホンマ元気やわ。」と。
お義母さんは腰も曲がっていないし、耳も普通に聞こえるし、バイキングも私と同じくらい食べるし、あちこち観光で歩かせても少しも疲れたと言わない。
日頃の運動量は私よりよっぽど多いし、私の方がおばあさんのようだ。
お小遣いをあげようと思ったら「お金は仰山あるさかい、いらん」と言うし。(なら、くれって!(爆))
観覧車の中で嬉しそうなお義母さんと私
http://www.keyplanet.com/kawano/060527.html
自分が80歳近くになったとき、こんなに若々しく、元気に人生最高に「今がしあわせヤワ」と言えるだろうか。
それより、そこまで生きていられるだろうか。(笑)
早死にしてしまって、息子が「かあさん」と呼びたいとき、ちゃんと「あいよ」と皺皺ながらも元気で、応えてあげられるだろうか。
「お金は余ってるからいらんわ!」って、言えるだろうか。はなはだ心配でございます。(笑)
私たちは変形家族だけれど、それぞれにしあわせな関係だ。
みんな何かがあったら、支え合うだろう。みんなで、お互いの幸せを願っているし、みんな家族に悪いことが起きませんようにって祈ってる。
しあわせは、個人によって違う。
しあわせは、他人の目で決まらない。
しあわせは、自分の心で感じる。
でも、しあわせは一人で作れない。
だから、まずは目の前にいる人、近くにいる人としあわせを作っていこう。
最初は小さくても、多くの人がしあわせになると伝播するから、きっと良いことが起こるね。
義妹は別れ際に笑顔で言った。
「また、何年か後にこうやって一緒に旅行しよな。」と。
元夫と私は、復縁することは決してないけれど、息子のしあわせのために力を合わせている。
無条件に、子どもの幸福は親の幸福だと感じている。
ナンの見返りも求めていない。愛って、そういうことなんですって。
母性愛だけじゃなくて、恋愛もそうなんですってよ。
しあわせって、無条件にしあわせを心から祈ってあげられる相手がいて、そんな気持ちになる瞬間が、ずっと続くってことかもしれないね。
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