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佐々木 隆さん
  佐々木 隆さん 『私が歩んだこの10年 -Part2-』
※この記事は2007年11月29日配信のメルマガ『きぷら』に掲載されたものです。
   

 さまざまな業界・業種で起業しているキープラネット会員さんたちの
 現状・お仕事事情・夢を取材してきた「起努愛楽」シリーズ

 キープラネットも10周年を迎え、同じ年に事務所を設立した会員さん
 川崎市にある編集プロダクション、スリーコードの佐々木隆さんに
 この10年間を振り返っていただきました。

(インタビュアー:粟盛 俊光)

     
  お仕事内容(業務内容)を教えてください。
     
 

 本の記事を書いてます。いわゆるライターです。

 1998年「企画・編集・データオフィス スリーコード」という編集プ
 ロダクションを立ち上げ、主に次のような本で記事を書いています。

 JTBパブリッシング「るるぶ情報版」の首都圏エリアの各種情報誌
 『るるぶ東京』『るるぶ横浜』『るるぶ栃木』
 『るるぶ遊園地&テーマパーク首都圏版』など
 小学館『女性セブン』など
 学研『大学受験案内』など

 具体的には、おおむね次のような作業を繰り返しております。
 1)依頼される
   出版社編集部より「この特集お願いします」などの電話が…
 2)仕事を受ける
   「はい、わかりました」ということで(来た仕事は、ほぼ断り
   ません)、どんなページにするかを編集担当者と相談します
 3)準備する
   ページのイメージを書いたり、取材先をリストアップしたり
 4)取材を始める
   編集部のOKが出たら、取材先にアポをとり取材開始です。
   撮影に行ったり、写真を借りたり、話を聞いたりします
 5)原稿を入れる
   「ページデザインのイメージラフ」「掲載用写真」「原稿」を
   耳を揃えて編集担当へ渡します。
   この締切前は、わが事務所の消灯時間がもっとも遅く、目の下
   がクマクマな数日間になるのです
 6)原稿を校正する
   ページのデザインがあがってきたら、取材先に原稿確認をお願
   い。自分でも、もう一度原稿を読み直し、各種確認を行います
 7)本が出る
   自分の手元を離れて半月〜1カ月で本が書店に並びます

     
  今のお仕事を始められたきっかけはなんですか?
     
 

 実は、音楽がやりたくて上京したことに由来(?)してます。

 1986年3月、大学(理学部数学科)卒業後、広島の教科書出版社入社
 高校数学の教科書や問題集を作る編集部に4年間勤めました。

 1990年6月、音楽のプロになりたくて、会社を辞め28歳で上京。
 同じくプロ志向の人とバンドを組んでオーディションを受けたり、
 プロモーション用に演奏を録音をしたりするかたわら、ライブハウス
 に勤め、食べていくため「ぴあMAP 」の編集部でアシスタントもして
 いました。

 これがライターになるきかっけです。

 教科書を作っているときに覚えた編集の仕事=“本を作るノウハウ”
 が「ぴあ」でも役立ち、その後、プロのミュージシャンになることを
 あきらめた頃、ホントに生きていくための道具となりました

 当時「ぴあ」で逢った人たちとの人間関係も、その後の仕事に大きく
 影響しました。フリーランサーは仕事を依頼されないと食べていけま
 せんから、人とのつながりは財産ですね。

 ちなみに、音楽のプロになるのは無理でしたが、現在でも趣味でバン
 ドは続けています。(バンドHP http://www.blues-rock-baby.com/

 12月7日の「キープラネット10周年パーティー」でもメルマガ編集部
 の皆さんと「ぶっちゃった〜ず」で数曲演奏します(ギター弾きです)
 演奏 がんばりま〜す!

     
  一番最初のお仕事(取材?)はどんな内容でしたか?
またどのようにして獲得されましたか?
     
 

 上京し、ライターとしての最初にした仕事は『こどもぴあ』でした

 「ぴあ」の編集アシスタントの求人広告を見て応募。面接に行き、採
 用されて『こどもぴあ』という本の中にあった、首都圏で実施される
 「こども向けのイベント」のページを担当しました。沿線別の一覧表
 にする仕事で、現地取材などはあまりなく、資料集めや電話かけなど
 地味な作業が中心でしたが、これがライターとしての初仕事です。

 事務所を立ち上げて最初の仕事はなんだったか…、  すいません、
 覚えてません。その前から継続的なものも多かったもので…。

 でも多分、小学館の女性向け雑誌『Muffin』あたりかなぁ。
 親子向け雑誌で東京ディズニーランド特集などもやってました。

 このときは、それまでの実績をファイリングし、飛び込みで営業をし
 て仕事を獲得
しました。お世話になった編集者が、ほかの雑誌の担当
 になったときに声をかけてくれたり、パイプをつないでくれたりした
 ことで、その後、仕事の幅も広がりました。

     
  お仕事を始められて一番大変なことはなんですか?
     
 

 収入が安定しないこと、これにつきます。

 仕事の内容自体は楽しんでできることが多いし、夜遅くまで働くこと
 や、土日祝日関係なく働くのも、それほど苦にはならないのですが、
 月によって収入がマチマチなのは(わかっていることとはいえ)やは
 り一番大変な部分です。月刊誌など定期的に出版する本を担当してい
 るときはいいのですが…、そうでないときは、かなり胃が痛い日々で
 すね。

     
  今のお仕事を辞めたいと思われたことはありますか?
それはどんなときだったのでしょうか?
     
 

 ない、と言えばウソになります。

 経済的に苦しいとき、家族を養うために、定職についてみようか、と
 か、アルバイトしようかとか、思ったことはあります。1・2回くら
 いかな。
 でも、それより、まずは営業して仕事をとってこよう、と考えます。

     
  御社の強みはなんでしょうか?
     
 

 遊園地関係に強いことと、データへの愛です。

 1999年に『TVチャンピオン』の遊園地王選手権で優勝したのは大きな
 転機
でした。名刺に「TVチャンピオン遊園地王」と入っていると、話
 題にもしていただけるし、ありがたいことです。

 テレビや雑誌制作者から遊園地やテーマパーク関連で「コメントを聞
 きたい」という依頼を受けることもあります。仕事でも、そういった
 レジャー関連施設の取材をし、紹介させていただく機会も多いので、
 現地の広報の方々とも親しくさせていただいています。
 「遊園地のことならここ」と、仕事を発注してもらうこともあります。
 これがスリーコードの大きな強みです。

 それから、事務所を立ち上げるとき“企画・編集”のほかに、あえて
 “デ−タオフィス”を入れて「企画・編集・データオフィス スリー
 コード」という名にしました。これは、雑誌などを作るときに、読み
 手にとって、いかにデータが大切かを忘れてはいけないと考えたから
 です。具体的に言うとこんな感じです。

 ★読者が本を見て「うわ、ここいいね。行きた〜い」と思う
     ↓
 ★詳しくデータを見て この本は「使える」か「使えない」か?
     ↓
 ★次に読者が買ってくれるかどうかの大きなポイントに

 だから「データに愛を」。これは、事務所設立時(あるいは、その
 前)から、私の基本でもあり「強み」だと思っています。

     
 

「TVチャンピオン」の遊園地王選手権で優勝するくらいに
テーマパークに詳しくなったのはどんなきっかけでしょうか?

     
 

 かつて「ぴあ」から隔週発行していた『CanDo! ぴあ』という情報誌
 がありました。その本の遊園地コーナーを担当して、毎回
  「速さ爆発!絶叫コースター」
  「高さがハンパじゃない垂直タワー」
  「密着度で選ぶラブラブアトラクション」
 など、さまざまな切り口で遊園地を紹介していました。

 このとき、カメラマンとモデルを連れて、ほぼ毎週、撮影に行ってい
 ました。当然、アトラクションも実際に体験しないと記事は書けない
 ので、この頃に首都圏のマシンは乗りまくったわけです。自然と遊園
 地のいろんなことにも詳しくなりました。その後『ぴあMAP 遊園地』
 の半分くらいの原稿を書くようになって、さらに全国の遊園地につい
 ても詳しくなり…、そうこうしているうちに『TVチャンピオン』出演
 の話が舞い込んできた、といったところです。


     
  過去の取材で一番楽しかったことはどんな取材でしたか?
     
 

 実際に足でかせいで見つけたネタを紹介するときです。

 『るるぶ相鉄沿線』という、地味(沿線の方、すいません)な主題の
 情報誌を作ったときの話です。この沿線を扱った既存の資料や写真が
 ほとんどなく、取材先も一から足で探すしか手はありません。

 海老名から大和〜三ツ境あたりまで、各駅に降りて「いい店はないか
 なぁ」「おもろい場所はないかなぁ」「変な看板は…」
 など、ちょうど去年の今頃、うちの相棒とともに歩き回ったわけです。
 これは、単純におもしろかったですね。
 「探す楽しさ」「ワクワク感」「見つけ出したときの喜び」
 が、その後の撮影・取材・原稿にも現れるような気がします。
 このようにして作った本は「かわいい」んです。

 遊園地やテーマパークなどの記事にしても、既存本に載っていない情
 報を発見して原稿を書くとき、誌面に載せられたときが楽しいです。

     
  これまでの10年を振り返ったうえで、今後の10年後の抱負をお聞かせください。
     
 

 「データと原稿と家族に愛を!」

 「スリーコード」という事務所の名前は、大好きな音楽からきていま
 す。即興で演奏するとき、例えば「キーをC」と決めれば「CとFと
 G」という「3つのコード」で、誰でもすぐに「楽しい音」を共有で
 きるんです。

 10年前、そんな便利で素敵な「スリーコード」を名前に選び、相棒を
 家内の直子と決めました。

 起業時の基本は「データと原稿に愛を」。
 つまり「キーはD」で D(=データ)と G(=原稿)に A(=愛)を!

 10年後も、この基本だけは変えずに、いい本を作ることに関わってい
 きたいと思っています。そして、そんな毎日を送るために、一番大切
 なのは家族だと思っています。

 どんな仕事も、家族があってこそ。

♪窓から見える観覧車
新聞配達の足音
安らかに眠れ my family
明日また食卓を囲むため
family ひとりきりに幸せはない
family メシを一緒に食えればいい

 ・・これは、7年くらい前に私が作った歌詞の一節です。
 これが私の基本です。

 これから10年の間に、2人の娘たちは別の食卓をつくり、10年後、息
 子は20歳を迎え、食卓は相棒と2人きりになっているかもしれません。

 でも、10年後も変わらず「データと原稿」そして「家族に愛を!」。
 やっぱり、笑って食卓を囲むために仕事をしていたいですね。

     
   

---[DATA]------------------------------
企画・編集・データオフィス スリーコード
代表 佐々木 隆(ささき たかし)

URL :http://www.three-code.com

キープラネット入会:2005年9月

出身地:福岡県  設立年月:1998年4月

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